2007年 12月 21日
もしかして、ビンボこじらせて死んだとでも思われたのかしらん? (まぁ、そう遠くはない住環境ではあるが) とにかく寒い。 現実的に考えると、ガキの頃と比べてかなり冬も楽になっている。温暖化のせいなのか寒さも降雪量もはるかに。 それでも年々寒さが身に染みるようになってきた。原因は判っている、運動不足による発熱量の減少だ。 基礎代謝が少なくなった上に元になるカロリー摂取が、ビンボで食えないのとは別にして大喰らいする力がなくなったのも理由かも。 悪循環の基点がどこにあるのかはわからないが、悪循環に陥っているのはよくわかる。 昔はなぁ(ノスタル爺始まり・・・)、夏と冬で服装はあまり変わらなかったんだがなぁ。 学ランの上に上着を重ねて靴が長靴(革のとんがりハーフブーツ)になるだけで、ズボンの下は夏と同じで過ごしてたのになぁ。 ちなみに今日は、親父の命日だったはずかもしれない気がする。 猫の死んだ日を憶えていて実の父親の命日があやふやとは、何という親不孝者と思われるでしょう。 もし他人がこんな風に言ってたら、ワシもそう思いますわ。 だがワシは親父の死に対し、慢性的な悩みの種として寿命を縮めた原因の一つになったかも知れないが、 直接的な死因は間違いなく「好きで飲んでた酒」にあると確信しているので何の後ろめたさもないのである。 また家の親父に関して言えば、「とにかく好き勝手な事やって、その結果として好きでビンボやってて、好きなように死んでいった。」との思いがある。 くも膜下出血なので最後は激痛があったとは思うがそれはアレだ、「家族を省みなかった罰当たり」ということで。 猫の場合彼らも好き勝手に生きたように見えるが、「飼い主がワシでなかった場合」を考えてしまうと、己の責任というものを感じざるを得ないのである。 このように書いてしまうとワシが親父を憎んでいたように思われるかもしれないが、そんな事はまったくないし親子関係が険悪だったような事もない。 考えたら、学校や親戚・挙句は他人にまでもゲンコツをもらって来たが親父に殴られた記憶はないなぁ。 (胸ぐら掴みあげられた事はあるが) 公務員試験受けるのに、田舎なので会場まで遠くて朝の5時過ぎに家を出なきゃならなかった。 そんな時間にバスも汽車(電車じゃないぞ、今も昔もこう呼ぶのじゃ「ディーゼル」だったけど)もないので親父に送ってもらうのを当然のように思っていた(傲慢だな今思うと)。 んで、試験が終わるまで車の中で暇を持て余しつつも、移動して遊びに行くともし試験が早く終わるとワシが困ると思ったのかそれもできずに車中でじっと待ち、3時頃に終わったらまた数時間かけて家に帰ると既に日は暮れていて結局はこの為だけで一日が全てとなって終わる。 これが25年前の11月全ての日曜日に繰り返された。 う~ん、振り返ってしまうと良いところもたくさんあったように思えてきたなぁ。 (人間の記憶の仕組みとして、死んだ人間の悪い点は圧縮されて隅に追いやられるとも聞いた気がするが) 最後まで一度も小遣いくれた事もない親父だが、この記憶をもってチャラにしてあげよう。 お袋でさえ忘れたまま過ぎようとしているアンタの命日をワシが憶えていた事で、アンタもチャラにして恨まないように。 昭和に生まれ昭和に生き、昭和の終わりと共に去った昭和の親父に
by jsdf1100411
| 2007-12-21 21:55
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