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2007年 12月 22日

大韓航空機爆破事件から20年金賢姫を捕らえた男たち~封印された3日間

ドキュメントタッチのドラマとして放送されたのは人目を引く効果となるが、一時的なものとしてそれで終わってしまう可能性もあって痛し痒し。

大韓航空機爆破事件から20年金賢姫を捕らえた男たち~封印された3日間

ドラマ紹介のページがこのまま消えてしまうともったいないので、パクる。




大韓航空機爆破事件について
事件の背景
1953年7月の朝鮮戦争停戦後、北朝鮮は、荒廃した自国の復興事業に力を入れていた。
しかし1960年代に入ると、再び「対南工作」を活発化させ、時には直接の破壊工作を行うようになった。
そうした中で北朝鮮によって拉致された韓国国民は、政府認定で500人近くにも上る。

当初は、拉致した韓国人を抱きこんで工作員として利用し、韓国に浸透させていたが、1970年代半ばに韓国内での摘発が相次ぐと、今度は外国人を拉致して対南工作に利用することを決めた。
そして容姿が近く、韓国をはじめ世界各国への出入国に便利なパスポートを持つ国・日本が、ターゲットの1つとなった。
北朝鮮は、工作員が日本人の身分を手に入れて、その人物に成りすます目的や、工作員を日本人に仕立て上げるための教育係にする目的などのために、日本人を拉致した。

【日本政府が認定した拉致被害者】2007年7月現在
1977年
9月  久米裕さん(52)
10月  松本京子さん(29)
11月  横田めぐみさん(13)
1978年
6月  田口八重子さん(22) 田中実さん(28)
7月  地村保志さん(23)・浜本富貴恵さん(23)蓮池薫さん(20)・奥土祐木子さん(22)
8月  市川修一さん(23)・増元るみ子さん(24)曽我ひとみさん(19)・曽我ミヨシさん(46)
1980年
 5月  石岡亨さん(22)松木薫さん(22)
6月  原敕晃さん(43)
1983年
7月  有本恵子さん(23)

1970年代初頭までは北朝鮮が経済的に優位に立っていた。
しかしその後、ベトナム戦争を背景として、韓国が「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済成長をとげ、北朝鮮に水をあける。

そしてまた、1988年のソウルオリンピック開催を決めるなど国際的な地位も高めていった。
そのソウルオリンピックに、中国とソ連が参加を表明するなど、北朝鮮が孤立を深めていたこの時期に、大韓航空機の爆破が計画された。


拉致問題~大韓航空機爆破事件から現在まで

日本人拉致問題にとって、「大韓航空機爆破事件」は特別な意味を持っている。
115人の命を奪った爆破テロは、もう一方では日本人拉致被害者の存在が明らかにされるきっかけとなったからだ。

爆破事件の実行犯である金賢姫は、その後の取調べを経た会見で、日本人に成りすますための教育係「李恩恵(リ・ウネ)」について証言した。
そして、「拉致」という言葉が公の場で初めて、北朝鮮の工作員によって語られた。

「私が日本人教育を受けた李恩恵という女性は、
北朝鮮によって1978年に拉致されて来た日本女性です」

その後出版された金賢姫の手記によれば、1981年7月から1983年3月までのおよそ20カ月の間、生活を共にし、日本語はもちろん履物の整え方から化粧の方法まで学んだという。
その李恩恵とは、1978年6月に失踪したとされていた日本人・田口八重子さんと同一人物であることがその後の調査で明らかにされた。
拉致した日本人を、北朝鮮工作員の「日本人化教育係」へと追い込んだのだ。

1970年代から1980年代にかけ、多くの日本人が不自然な形で行方不明となっていた。
これらの事件を結び付け、“外国情報機関が関与しているのではないか”と分析し、北朝鮮の関与を匂わせた記事が、1980年1月7日「アベック3組ナゾの蒸発事件」として『サンケイ新聞』一面に掲載された。

しかし、当時の日本には、北朝鮮に触れることへの抵抗感が強くあり、記事への反響はほとんどないままに7年の歳月が流れた。
大韓航空機爆破事件後の12月1日、逃亡を計ろうとしていた「蜂谷真由美」を名乗る工作員・金賢姫は、パスポートの偽造が暴かれ、中東バーレーンの空港で拘束される。
そしてその後12月15日、国籍も名前も不明のまま、身柄はバーレーンから韓国へと引き渡された。
韓国での取調べにより、大韓航空機爆破計画の全貌を語り、ようやく、「拉致」という言葉が広く認識されるに至った。

もし、金賢姫が生き残り証言していなければ、拉致問題の解明はもっと遅れていたのではないだろうか・・・

【拉致問題関連年表】1980~2007年
1980年 1月7日 産経新聞で拉致事件初報道
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年 11月29日 大韓航空機爆破事件
12月1日 金賢姫拘束
12月15日 金賢姫韓国へ移送
1988年 1月15日 金賢姫会見 ■ 李恩恵の存在、日本人拉致の事実が明らかになる
1月20日 アメリカが北朝鮮をテロ支援国家に指定
2月16日 国連の緊急安全保障理事会が開かれる
■ 北朝鮮が大韓航空機爆破事件への関与を否定 
3月26日 梶山静六国家公安委員長が衆議院予算委員会で、「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と発言
1989年
1990年
1991年 5月15日 「李恩恵は田口八重子さんの可能性が高い」と警察庁・埼玉県警
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年 10月 『現代コリア』10月号に少女拉致事件についての論文が掲載
■ 後にこの少女が横田めぐみさんであることが判明する
1997年 1月25日 北朝鮮に拉致された日本人を救出する会(救う会)発足
2月3日 横田めぐみさんの実名が初めて報道される
3月25日 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)発足
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年 9月17日 小泉首相北朝鮮訪問 日朝首脳会談
北朝鮮側が拉致を認める「5人生存・8人死亡」
10月15日 拉致被害者5人帰国
2003年
2004年 5月22日 小泉首相二度目の北朝鮮訪問
拉致被害者家族5人帰国
7月8日 曽我ひとみさん家族と再会
7月18日 曽我ひとみさんの家族が帰国
2005年
2006年 7月 北朝鮮が弾道ミサイル7発を日本海に向け連射
10月 北朝鮮が核の地下実験を行う
2007年 12月 アメリカの北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除する動きが進むなか、発足から10年目の拉致被害者家族会は、先の見えない闘いを続けている。

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by jsdf1100411 | 2007-12-22 14:16 | 半島・大陸・島


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