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世の中思い通りにはならんのだ

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2007年 02月 18日

今更ながら「従軍慰安婦」改め「ただの慰安婦」

この手の話は長くなる上に中身がなく、指摘された不合理に耳を貸さずに詐話を繰り返すだけなので面倒くさい。

半島からの証言者
李容洙(イ・ヨンス)

中央日報:ワシントン=姜賛昊(カン・チャンホ)特派員 2007.02.16

1944年 の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され、3年間にわたり日本軍に性的にもてあそばれた

「2階建ての日本風の慰安所で一日平均4、5人の日本軍に強姦され、粥で生き延び、何かあるとすぐに暴行されるなど、犬や豚よりもひどい生活をした」

日本軍によって‘トシコ’と名付けられた李さんは、性行為を拒否して電気拷問を受け、韓国語を話す度にひどく殴られた、と語った。

「終戦後に家に帰ると、母は‘死んだ娘が霊になって現れた’と言い、父は鬱火病で中風になり、その年に亡くなった


16歳だった42年に中国に連行された金君子(キム・グンジャ)

「慰安所で一日平均20人、多い時は40人の日本軍を相手にする地獄のような生活を送った」

日本軍は小さな刃物で私の体を少しずつ切りつけ、服を激しく破り、コンドームも使わず跳びかかってきた」

「いっそのこと死んでしまおうと思って何度も自殺を図ったが、日本軍が見張っていてそういう機会もなかった

「45年8月の終戦で日本人が‘出て行け’と言ったので、同僚8人と畑の白菜を取って食べ、1カ月以上も歩いて家に帰った

「慰安所に到着した初日、抵抗して殴られ、左耳の鼓膜が破れた。体にも多くの傷が残っている」


さてと、どうしたものか・・・何せプロ詐話師で戦後食ってきたから、証言内容が修正に継ぐ修正を経て進化してるんだよなぁ。
それでも穴だらけなのが笑えるが、信じたいものを信じる連中が相手だと通用してしまうのが痛い。

アジアの真実:・作られた「従軍慰安婦」(2)

アジ真が↑を出したのが2005年01月22日、それから二年経ってもまだ言ってるかと・・・
年齢が証言ごとに違っているのは「単なる勘違い」で済ませたいらしいが
全国証言集会京都実行委員会
<李 容洙さん プロフィール>

1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。
1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ

「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る


赤恥、もとい「あかはた」
李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられた




JANJAN埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議
上田知事が県議会で「古今東西、慰安婦はいても、従軍慰安婦はいなかった」と答弁したことを受け、自ら従軍慰安婦だったと証言している韓国籍のイ・ヨンスさん(77歳)が、発言の撤回と謝罪を求め、支援者と共に3日、埼玉県庁を訪れた。


イさんは県庁内で記者会見。15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。


[AML 1105] 【4/21@同志社】 李容洙ハルモニ証言集会&ドキュメンタリー『ナヌムの家』上映
[AML 9809] Re: 韓国元慰安婦イヨンスさんの訴えを聞いてください。
半月城です

(出たよ半月城・・・)
 李容洙(71)はかって日本軍の性奴隷として足かけ三年間従事した場所
を涙のうちに探しだした。
  その場所は現在、中華民国空軍の将兵用三階建ての寮になっていた。
彼女は、1944年(43年の間違い)のある夜、
韓国の故郷からどのようにして日本軍により誘拐され、いかにして日本軍の性奴隷になったかを涙ながらに語った。

  彼女が、日本空軍(ママ)カミカゼ隊の駐屯する見知らぬその地の慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。
李は、ハセガワという日本人将校からそこは台湾北部の新竹であると聞かされて、初めてその地名を知った。

見事な辻褄あわせのフォロー のつもりだろうが、自分の半月城通信 No.57にはこうある。
 1928年大邱に生まれた容洙さんは、(満)14歳のとき家から呼び出され、
他の4人の少女とともに日本人に連れられて汽車で慶州から大連まで運ばれました。

今度は42年になっちまった・・・
戦争が終わるまで、主に特攻隊兵士の相手をさせられ、46年に祖国に帰りついたときには18歳になっていました


もうわけわからんのだが・・・満と数えを交互に使って誤魔化そうとしてるのが見え見えだし、
散歩道が04年に書いたものと同じ気持ちになっちまった。

金君子もまとめて書いてしまおうと思ったが飽きた、他人の書いたものへのリンクでお茶を濁そう。

ぼやきくっくり::朝日はいつまで「元慰安婦」を利用するの?
朝日の記事に戻って、2人めの「元慰安婦」金君子さんについて。
 金君子さんに至っては、だまして連行したのは「朝鮮人2人」だとはっきり書かれてあります
 調べてみるとこの人も李玉善さん同様、証言がその都度、微妙に違っています。そして、残念ながらこの人も養父に「売り飛ばされた」公算が強い


結論、別に自称慰安婦性奴隷が死に絶えるのを待っているわけではない。
整合性があって質疑に耐えられる証言を待っているのだ。

つか何年も前に同じ内容を複数のブログで指摘していて、それでも同じネタをいまだにやってるんだから、
職業慰安婦→職業詐話師と続く生業なんだな、死ぬまで

追記
韓国の「慰安婦」被害者の発言

アジア女性基金を受け取った人のインタビュー
 1997年1月13、14日報道(1月7日「基金」を受け取ったあと)
○東亜日報13日 金田君子さんインタビュー
 500万円を受け取ることにした金田君子(77歳)ハルモニは、月36万ウォン(国家25万、区庁8万、道事務所3万ウォン)を受け取っている。
金田ハルモニは、「この金ではアパート賃借料と電気水道電話料金を出すのも難しい」と述べた。
 …「病院に入院した時も政府や団体のだれ一人電話一本もかけてこなかった」、「だが基金側の人々は一月に何度も訪ねてきた。その苦労が申しわけなく、受け取ることにした」と語った。
4年前からごはんが食べられない。歯もなく消化機能も弱ったためである。あちこちが痛み、鎮痛剤がないと朝起きられない。アパート上の階の家内工場のため夕食もよくとれない。
それで、500万円をもらえば、単独住宅をチョンセして、移る計画だと明らかにした。

○韓国日報 金君子氏は13日、電話でその際の状況を明らかにした。
「日本全体をくれるといわれても、われわれが死んだあとでは何の意味があるのか。
日本政府を相手とする国家補償は実現不可能であると思われる。
韓国政府や民間団体が日本政府や国連を相手として国家補償を推進しても、100年戦っても日本政府は絶対賠償しないだろう」


はいはい、誰の財布から出た金でも乞食にとって金は金。
で、まだ足りないんですよねと・・・

by jsdf1100411 | 2007-02-18 13:00 | 【従軍】慰安婦・強制【連行】


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