世の中思い通りにはならんのだ

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2009年 02月 17日

雪にはまった車のレスキュー(蝦夷の風物詩)

何年ぶりかにやりました。昨日の事なんだけど、昔からよくある事なのでその場が過ぎると忘れてました。
では何でその話を書いてるかというと、覚えがない筋肉痛の原因を探ってたからであります。
「ああ、そういえば・・・」
そこで、蝦夷の伝統が今でも生きている事を実感したりした

それにしても今の車は、押すように作られていないなペラペラのスポイラーとかやわい(×軟い、○弱い)バンパーとか。
昔は最終手段として、金棒をテコにして持ち上げたりしたもんだ。当然バンパーは凹むけど、外して叩いて直せば済んだ。
今じゃ手のひらで押すと圧が集中して割れてしまうので、腕とか肩を当てなきゃならんので体勢が苦しくなる。

それでも蝦夷の民は、雪にはまった車は助けずにはいられないのが習性であったりするわけだ。






「雪道ではまる」というのは、雪を知らないところの人にとっては道端でパンクするのと同列に見られるかもしれないが、街中ならともかく人家のない場所がやたらとある蝦夷では命に直結しかねない大事なのである。
(「北の国から」で、竹下景子が死に掛けたシーンを記憶している人も多いかと思う、ワシはドラマの作りが嘘ばかりなので、再放送をちょこっとしか見てないけど)

夏場なら路肩に落ちてて無視される事もあるだろうが、冬の場合に見ないふりして通り過ぎるのは苦痛を感じてしまう。
「誰も見ていないところで子猫と一緒になり、赤ちゃん言葉になるのを我慢するような辛さ」と言えばわかる・・・だろか・・・

なので、お礼を言われると違和感を感じてしまう。
気持ちはわかるんだ。自分だって助けられた場合には、泣きそうになるほど感謝の気持ちでいっぱいになるし、実際なってきた。

有り金全部を渡してもいいくらいの気持ちになるのもわかる。でも、それはやめてもらいたいんだ。JAFのようなビジネスじゃないんだから金の話が出た途端に、それまで微塵もなかった欲得の心が出てきて台無しになる。
レスキューが終わって立ち去る道で、何か物悲しくなってしまうのだよ。

上から目線の「助けてやる」ではなく、北のドライバーなら一度や二度は必ずはまった経験があり、助けられた経験もある。
そのときの感動ってのは知らない人が思う以上に大きいのだ。
それが根っこにあって「助けずにはいられなくなる」自分を助けているのだから、言われる方が恐縮してしまうお礼だけで十分。
(ほんとはそれも気恥ずかしいので、笑って「どうもありがとう」ぐらいがちょうど良い)

今回の場合は兄ちゃんと姉ちゃんだったが、姉ちゃんは自分が手を出せないのでひたすら「すいません」と言うしかないのもわかるが、あまり何度も言うと逆にイラッとくるので注意。
横向いてぼけ~っとしてるのが最悪なので目線は作業に。参加など誰も求めないから、両手を握って見ていれば良い。
ただし、男がこれをやると確実に睨まれる。性差別ではなく能力的な区別だ。

基本がお互い様なので、特別に良い事をしたとも思わないで昔ならすぐ忘れたのになぁ。体の痛みが残るようになると、消えるまでは忘れられなくなるんだなぁ・・・


そっちが悲しいなぁ、二人の顔なんて最初からろくに見てないからわからないし。
(中指の根元が腫れてるんだが、折れたかな?まぁいいや)
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by jsdf1100411 | 2009-02-17 01:14 | 小ネタ / 浅読み


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